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私は大学院卒業後、京都府北部の高校で教師をしていました。それから4年後、京都府南部の高校に転勤しました。制作活動は年一回のグループ展と京展という地方の公募展に出展していました。自分としては、今後のどのように発表するか悩んでいました。

大学で彫塑を専攻したものの、彫塑を続ける気持ちはありませんでした。具象的な彫塑による表現には、限界を感じていたからです。

1996年の安井賞展を見たときに、「絵画で挑戦したい」という気持ちが芽生えたのです。そして畑中優さんの作品に衝撃を受け、行動美術協会に心が揺れたのです。

私は早速、200号の制作に取り掛かりました。出品は8月上旬だったと思います。

勤務校の美術準備室で制作しました。

200号という大きさは、初めての体験でしたが、とにかく無我夢中で制作しました。

1点のみの出品でしたが、入選することができました。

行動美術協会の京都支部の懇親会に出席しました。そこで言われたことは、「1点でよく入選できたな」ということでした。普通は、2点から3点だして、やっと入選というのがほとんどだと知りました。

それから半年ぐらいしてから、行動美術協会の京都展に出品するように言われました。

私は120号と50号を出品しました。そのうちの120号については高い評価を頂きました。

 

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