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1996年に、行動美術協会に入選しましたが、翌年の1997年、安井賞は打ち切りとなりました。Wikipediaにはこのように記されています。

安井賞は、安井會太郎の画風に基づき、具象的な作品を評価対象とした。新人洋画家の登竜門とされ、画壇の芥川賞とも言われ、多数の優秀な作家を輩出した。しかし、1996年、ますます多様化し複雑化しつつある日本の現代美術の状況を顧み、具象的傾向の作家の発掘を目的とする安井賞展はすでにその使命を達成したとして、翌1997年の第40回展で打ち切りとすることが公表された。

賞の実施は、コンクール方式だが、広く公募するものではなく、美術団体と美術評論家等の有識者から推薦された作品を収集展示して選考する方式であった。作品の推薦方法や、選考委員の人数・構成などは度々変更された。被推薦作家の年齢制限も、当初は40歳以下であったのが、1962年の第6回以降は50歳以下に引き上げられた。

この年の安井賞展も見に行きました。柳田昭さんの「水温む頃」が大賞に選ばれていました。水彩画でワイエスのような緻密な表現をされていて、モノトーンが美しい作品を目の当たりにしました。前の年に見たときは、新鮮な希望に満ちていましたが、この年は見終わったあと、何とも言えない気持ちになりました。

大きな目標を失った気持ちはありましたが、まだ自分は公募展に1回入選しただけに過ぎず、作家としての無力さを再認識しました。

とにかく、行動美術協会に出し続けることにしました。

1年の間に、200号を本展にむけて2枚、京都支部展に100号から150号を2枚、これらが最低のノルマでこなさなければなりません。

公募展に出品すると搬入、搬出にもお金がかかります。

1996から1999年まで出品しましたが、3回連続で入選した後、落選しました。

落選は、ある程度予測していましたが、もう次の年に出品するという意欲はありませんでした。

今から思うと、自分の表現がまだ見つかっていなかったことが、出展を諦めた一番大きな理由でした。

畑中優さんの作品に憧れながら、私は一度もお会いすることもなく、行動美術協会とは縁がなくなりました。

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