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既知という共通感覚によるアート

アンディウォホールと言えば、キャンベルスープなどの大量消費物、マリリン・モンロー、エルビス・プレスリーと言った有名人をシルクスクリーンによって平面的に表現した作品が有名である。キャンベルスープにしろ、モンローにしろ共通している事がある。それは多くの人が「知っている」という事である。「知っている」という共通認識があるという前提で作品を見るのと、ないのとでは作品の見え方は全く異なる。マリリン・モンローの突然の死を知って、ウォホールはすぐに作品を作ったことは、逸話として有名であるが、それはモンローの死が人々に広く共有されていたからである。

ウォホールは、そのような「前提」を上手に作品に取り入れた作家である。

彼の残した言葉を読むと、よりウォホールのアートに対する考えが伝わってきます。

But why should I be original? Why can’t I be non-original?

「なんでオリジナルじゃないといけないんだい?他の人と同じがなんでいけないんだ?」

この言葉は、ウォホールのアートについての考え方を的確に表している。ウォホールの作品は、その手法や様式においてオリジナリティを持っています。しかしそのオリジナリティは、実はオリジナルを否定することで成立しています。シルクスクリーンという技術は、それ自体珍しいものではなく、どちらかと言うとTシャツやギター などの製品にプリントするために使われて来ました。また作品にする対象は、人々が知っているという前提があるものに限定されています。ウォホールは、そのような「既に存在している物」をアートの文脈に流用したと言えます。

The reason I’m painting this way is that I want to be a machine, and I feel that whatever I do and do machine-like is what I want to do.

「僕がこのような方法で絵を描いているのは、僕が機械になりたいからである。そして、僕がすること全て、機械のようにすること全てが、僕がしたいことなんだ。」

この言葉もウォホールのアートについての考えが良く表現されているように思います。ウォホールは、ファクトリーと呼ばれるスタジオを作り、そこで人を雇用し、作品を製作させていました。それは工場で製品を生産している事に近いのです。

アンディ・ウォホールの芸術とは、人々が潜在的に持っている共通認識を、シルクスクリーンという工業製品を作るような手法で表現した。ウォホールのスタイルは、機械が製品を生産することに近い。ウォホールの描く対象は、前提を保有しているものに限定されるのであり、そこには特別な優位性は存在しない。私はそこにセザンヌとは異なる対象の等価性を感じます。

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