HISTORY

幸福について

制作を続けて来て、ふと思うことがある。「何のために描いているのだろうか」私は大学を卒業してから、コンスタントに制作してきたわけではない。描かなかった時期が7年ほどある。正確に言うならば、「描かなかった」と言うよりも「描けなかった」。その時期のことを考えると、今作品を作れている状況にいることは幸せだと思う。「なぜ描ける様になったのか」これについては、また別の機会に話

クリストのスケッチの特徴は、空間を的確に捉えるパーステクティブの魅力だと私は思う。クリストとジャンヌ クローゼのユニットはまずクリストが描くスケッチからプロジェクトをスタートさせたと言われている。そこで要求されるスケッチとは、そのプロジェクトの意図が明確に伝えるものでなくてはいけない。スケッチを見ただけで、どのような空間が生まれるのか、言葉を超えて視覚で訴えなければならない。クリ

私の履歴書

私は、大学を卒業してから教職につきました。教師になった理由は、いくつかあります。当時の私は社会に出ることに対してなんだかわからない不安がありました。今から思うと考えが狭かったと思います。教職は、学校という場所が職場になります。私は「学校」という場所が、実は好きだった気がします。また教職は制作を続ける上で、比較的『楽な』仕事だと思ったからです。民間企業は残業やノルマがあり、神経をすり減らすといった

日本でドキュメンタリー性のある絵画と言えば、第二次世界大戦において描かれた『戦争画』である。日本の戦争画は、ゴヤやピカソの作品と比べると、個々の作家によって違いはあるが、大曲的に見るならば幾つかの相違点が見られる。一番大きな違いは、日本の戦争画は、プロパガンダ的な要素があったということである。そもそも、日本政府主導の下、軍の宣伝や国民の戦闘心を鼓舞するために「大東亜戦争作戦記録画

第三回タガワアートビエンナーレに出品しましたが、残念ながら落選しました。実は出品した作品は枕崎国際芸術大賞展に出品し、こちらでも落選しています。落選の原因は、色々と考えられますが、今回の出品で感じたことをお話ししたいと思います。先ず私の出品した作品ですが、廃墟のなかに戦車を画面に大きく配置しました。恐らく見た人は、ロシアのウクライナ進行のことを想像されると思います。

絵画を死に至らしめた犯人を探す 第2回もう一つは、作家自体が「絵画の死」を積極的に進めた事である。 一般的には、マルセル・デュシャンの「レディメイド」、 またミニマルアートからコンセプチャルアートへの流れが、それに該当する。マルセル・デュシャンの画家としての経歴をみると、初期は印象派、フォービズム、 キュビズム、未来派の影響を受け、絵画を制作していた。1913年にニューヨークで発表した「階

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