暴力について

未来について、暴力はどの様な形で消化(昇華)されるのか?これは人間にとって、また僕個人にとって大きな問題である。暴力は社会のホワイト化が進むに当たって、表面上は消えた様に見えるが、実際は人々の意識にまた無意識に存在している。それがある時、歪な形で犯罪へと表出される。僕たちは暴力に対して何ら抵抗や対策が日々講じられているだろうか?答えはノーだ。防御の為に護身術や格闘技を学ぶ人はごく稀であり、これが

日本でドキュメンタリー性のある絵画と言えば、第二次世界大戦において描かれた『戦争画』である。日本の戦争画は、ゴヤやピカソの作品と比べると、個々の作家によって違いはあるが、大曲的に見るならば幾つかの相違点が見られる。一番大きな違いは、日本の戦争画は、プロパガンダ的な要素があったということである。そもそも、日本政府主導の下、軍の宣伝や国民の戦闘心を鼓舞するために「大東亜戦争作戦記録画

第三回タガワアートビエンナーレに出品しましたが、残念ながら落選しました。実は出品した作品は枕崎国際芸術大賞展に出品し、こちらでも落選しています。落選の原因は、色々と考えられますが、今回の出品で感じたことをお話ししたいと思います。先ず私の出品した作品ですが、廃墟のなかに戦車を画面に大きく配置しました。恐らく見た人は、ロシアのウクライナ進行のことを想像されると思います。

砂の器

「砂の器」という邦画をご存知ですか? 松本清張の長編小説を映画化した作品です。東京都内で起きた、ある殺人事件を発端に物語は進行していく。刑事は事件を捜査するうちに、一人の男が重要参考人として浮かんでくる。被害者と犯人の意外な関係と殺人の動機、そしてその背景に「ハンセン氏病」が取り上げられており、物語は重層的な深みを帯びている。1974年に松竹で映画化され、また7度テレビドラマ化さ

自作について

絵画の歴史について語る以上、自らの作品についても何も語らない訳にはいかない。私の表現は、「ポストモダンの時代に、絵画が如何なる価値や美を創造し得るか」自らの問いについての回答である。「誰が絵画を殺したか?」で述べたように、絵画を殺した者は、作家であり、評論家であり、その時代に蔓延した空気のようなものではなかったか?しかもその空気の元を辿って行くと、実はイデ

自分のホームページをWIXで立ち上げて、4年になる。ホームページを作ったおかげで展覧会に誘って頂いたり、成果はあった。ホームページの作成は、『家を建てる』ことに似ていると思う。家を建てる時に重要なことは挙げればキリがないが、『間取り』は優先順位が高いと思う。間取りを考える時に重要な事は、各部屋への『導線』を確保することである。ホームページの各ページはいわば家の各部屋である。各ページの階層

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