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ポストモダンを駆け抜けろ!!イチロー 編

『ポストモダンを駆け抜けろ』は、私のような団塊ジュニア世代の50代のおっさんが、自分の体験や経験から『今を如何にして生きるか』を模索する試みである。 一回目は、一番らしく?イチローである。イチローを語るなんて、おこがましく思う自分がいる反面、この人の魅力はあり過ぎて、一回では書き切れない。とりあえずは手探りの一回目です。

マリナーズ 会長付特別補佐に就任したイチロー
今年2018年が終盤を迎え、様々なニュースが飛び込んで来た。中でもメジャーリーグで活躍し続けて来たイチロー選手のマリナーズとの契約については、考えさせられた。 『特別補佐』という肩書きで、選手契約は続けるものの、残りの試合には出場しないという、前代未聞の内容。現役続行にこだわるイチローの気持ちを汲んだ球団の粋な計らいと言える。もちろん賛否はあるだろうが、オーナーを含めたチーム全体のイチローに対する敬意を感じた。それはイチロー自身も深く心に留めているであろう。『50歳まで現役選手を続ける』イチローは全盛期の頃とは違うテーマを自らに課しモチベーションを高めている。

イチローは、開幕直前に故障するなど、ベストな体調ではなかった。しかしながらプロである以上言い訳は許されない。解雇になってもおかしくはなかった。解雇ではなく、極めて異例な契約で現役続行に可能性を残した。イチローにとって来年度の契約が、『現役選手として生き残りを賭けた』正念場を迎える。

2001年にメジャーリーグに挑戦しシアトル・マリナーズ入団。イチローの活躍は、野球が本来持っていた魅力を、その卓越した技によって、目の肥えたファンの多い野球の本場で鮮やかに見せてくれた。2004年には年間最多安打の世界記録を更新するという快挙を成し遂げた。2010年までのイチローは、自身の拘りである年間200本安打を達成し続け、苦しみながらも達成感のあるシーズンを送っていたと言える。その栄光の影で、想像を超える努力と試行錯誤を繰り返し、更なる成長を遂げていたのである。 そんなイチローに陰りが見え始めたのは、2011年にメジャーリーグ移籍後初めて年間安打数が200本を下回ってからである。メディアはこぞって『年齢から来る肉体の衰え』と書きたてた。イチローは40歳を目前にしていたからだ。

私は野球について素人であるが、イチローは年間200本安打をすぐにでも、また達成すると思っていた。なぜなら、イチローは常に我々の常識を打ち破り、『奇跡』を起こして来たからである。 メジャーリーグに移籍する際も『日本の野球がメジャーリーグで通用するはずがない』といった声が多かった中で、首位打者のタイトルを獲得し、メディアを黙らせた。批判されればされる程、力を発揮する。あの伝説となった『レーザービーム』と称されたライトからサードへの送球は、アスレチックスのファンからの大ブーイングの中で生まれたのだ。

2012年のイチロー選手は、前年からの不振が続いた。シーズン初めのインタビューで彼はこのような言葉を残している。

「バッティングの事とか技術のことは僕にとって、観ている人にとって、そんなに大した事ではないと実は思うんです。どうやってこの人が生きているんだろうという事が、大事な事。人って苦しい中でどう向き合うのか、どうやって進んでいくのか、進もうとしているのか、っていう姿勢みたいな事が大事だったりするじゃないですか。そういう何かに向かって行く姿勢というのがきっと大事なんだろうな。という風に思っていますし、僕もそうでありたいなと。」

この言葉を聞いて、私は確信した。『イチローは必ず復活する』
そして迎えた2012年は、ヤンキースへの電撃トレードという大きな転機のシーズンとなる。この年の成績は、結局178安打にとどまったが、名門ヤンキースの厚い選手層の中で輝きを放っていた姿が印象深い。ポストシーズンでのホームベースでの巧みなスライディングは長く後世に語り継がれるであろう。

2011年以降、年間安打は200本から年々落ちていった。私は考え方を変えた。『イチローも人間なのだ。完全な人間なんていない。でもイチローは、あれほど多くの記録を成し遂げながらも、さらに50歳まで現役で選手を続けることに拘り日々努力している。なんて凄い奴なんだ。』

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