ARTWORKS

クリスト&ジャンヌ クロード ”ambivalent art”

クリスト&ジャンヌ クロードは、「布によって包む覆う」という行為によって、身近な物を全く異なるオブジェに変質させるという作品を作りました。「包む、覆う」対象は、身の回りの瓶や椅子から、やがて車、街路樹など大型化していき、さらに次の段階として建造物や自然環境を包む「プロジェクト」に発展していきます。

彼らの代表作と言えるコロラドの渓谷にオレンジの布を張った《ヴァレー・カーテン》(1970−72)、マイアミ沖の11の島をピンクの布で囲んだ《囲まれた島》(1983)、パリの橋を乳白色の布で覆った《ポン・ヌフの梱包》(1985)などで、広く知られ、1991年には茨城県に1340本の青色の傘、カリフォルニアに1760本の黄色い傘を立てるという《アンブレラ》が 次々と実現します。

そして東西ドイツの分裂により実現不可能と言われたベルリンの旧ドイツ国会議事堂を銀色の布で包む《梱包されたライヒスターク》が1995年に実現し、2016年には、北イタリアのイゼオ湖に浮かぶ島と陸を黄色い布で覆われた3キロに渡る浮き橋で結ぶ《フローティング・ピア》では、16日間限定にも関わらず、100万人ほどが足を運びました。

クリストの作品は、構想から実現まで年単位の時間を要します。その規模の壮大さとともに、スポンサーなどに頼らず、ドローイングやコラージュの販売等で資金調達する方針を貫いてきました。設置許可を交渉するため自ら足を運び、交渉を続ける。考えるだけで気の遠くなる作業です。しかし彼らの考え方は一貫していました。それは、プロジェクトを完成させる過程での全ての行為が作品と捉え、その作品を通して、人と人をつなぐことが芸術の意義であり、価値であると確信していたのです。

しかしながら、彼らのプロジェクトが全て輝かしい成功ばかりであったとは言えません。1991年に日米で同時開催された『アンブレラ』。太平洋を挟み、カリフォルニアの砂漠地帯に1760本の黄色の傘を、茨城県の水田地帯に1340本の青色の傘を同時期に点在させた。一本の傘の大きさは高さ6メートル、直径約8.7メートルという巨大なもの。1ヶ月弱の会期中に日本で50万人、アメリカで200万人を動員したが、日本は台風シーズンで傘が閉じている日が多く、訪れた観客を残念がらせた。会期は10月8日から29日の予定てあった。ところが26日にアメリカ側開催地で突風で飛ばされた傘が人を死亡させた事故が起きる。事故を知ったクリストとジャンヌ=クロードは即座にプロジェクトを中止し、『アンブレラ』は会期を全うせず終了した。また日本でも撤去作業中に、作業員の男性1人が事故で死亡。クリストたちにとって大きな試練が訪れた。

しかし彼らは、その後も次々とプロジェクトを進めていく。クリストはアンブレラでの事故について2013年に次のように語っています。

…現実の世界には全てが含まれます。リスク、危険、美しさ、エネルギー、現実の世界で出会う全てのものです。このプロジェクトは、それが現実の一部であるため、全てが可能であることを示しました。…この作品は、自然とその自然がもたらす全てのものとの対立を生み出すようにデザインされています。

クリストが描く精緻なスケッチ、それは夢の世界とも言えます。それを現実に行おうとすると、社会との摩擦が生じます。その摩擦と格闘する事、その中でしか夢を現実にすることはできない。クリストの言葉からそんな事を感じました。

壮大なスケールと相反して、短期間で終わってしまう刹那的とも言える作品。そのアンビバレントな魅力に我々は惹かれるのではないでしょうか。

多くの人の心に強烈なインパクトを残してきた二人ですが、2009年にジャンヌ クロードが他界し、2020年にクリストも死去します。

クリストの死後’、1962年より構想されていたパリの凱旋門を布で包むという作品は、2021年9月18日より10月3日までの16日間、実現しました。コロナ禍による延期で、悲願の作品を目にすることなく逝ったクリストだが、彼の残したスケッチの数々は、これからも人々を感動させることだろう。私は改めて、クリストの画集を眺めながらそう思いました。次回のブログでは、クリストの描いたスケッチの魅力について、お話しします。

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