私が制作する中で、一番難しいと思う事は、作品の完成である。「どこで終わるか?」
作家は自分の作品が「どの地点に達しているか」を見極める能力が必要である。もしそれが無いとすると制作は「行」の様なものになりかねない。
「行」とは悟りに到達するための修行の意味で、そこには「完成」という概念はないと私は思う。
完成なき追求は、自己と世界との関係性を問う孤独な作業とも言える。また一方で作家は作品を完成させることに価値があるというのも真実ではなかろうか?
私は『完成』に至るプロセスにおいて、2つのタイプの作家が存在すると考える。
先ずは「完成」に至るプロセスをコントロール出来る作家である。プロ作家と呼ばれる作家の大半が、このタイプと考えて良い。作品に使われる時間、物質に無駄がなく、安定して作品を作ることができる。作品の量も多作である。
片方は「完成」よりも自己と世界の関係を絵画によって「追求」するタイプの作家である。作品に使われる時間、物質に過度な消費がある。作品の特徴として、塗り残しや未処理とも思える様なところがあり、途中段階とも言える様な作風である。作家の例を挙げると、ポール・セザンヌ 、アルベルト・ジャコメッテイ、フランシス・ベーコン、ウィレム・デ・クーニング、ジョルジュ・ルオーまた最近のアートシーンで評価の高い井田幸昌、三輪瑛士らもこのタイプの作家と考える。
作品を如何様に完成に導くかによって、作家の表現方法も変わってくる。描くという行為には「遊び」と言われる初動的な喜びは勿論あるのだが、作家とはそういった次元を超えて、自己の世界観を構築すべきだと私は考えます。今回は「完成」というキーワードで、作品制作について考えてみました。
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